こんにちは、Hiro です。
2020年7月6日㈪NHKにて22時から
「逆転人生」が放送されます。
今回は、駒師である、遠藤正巳さんが
出演されます。
遠藤正巳さんは、
将棋の駒を作る職人です。
将棋と言えば、今、藤井聡太七段が、
活躍されていますね!
まだ17歳という若さなので、これからも活躍が期待されます。
一方、遠藤正巳さんは、
59歳という年齢から
将棋の駒を作り始めたというから、びっくりです!
遠藤さんは、どういう経緯で将棋の駒を作り始めたのでしょうか?
気になりますね。
また、経歴や家族についても調べてみました。
遠藤正巳さんプロフィールと家族は?
名前:遠藤正巳(えんどう まさみ)
年齢:1952年生(68歳)
東京生まれ。
すぐに山梨県に移り高校まで過ごしました。
お父さんが地方公務員だった為、
県内で引っ越しを何度も繰り返したそうです。
高校を卒業後、上京。
パブでアルバイトを始めました。
そうするうちに、飲食業に興味が膨らみ、
将来は自分の店を持ちたいと思うようになったそうです。
ところが芸能プロダクションの社長と知り合い、
ギターの弾き語りに転身してしまいました!
各地のナイトクラブを回っていたところ、
秋田のお店でお客の女性に一目惚れし、結婚。
2人の子供が生まれたそうです。
そして、29歳の時、奥様が3人目の子供を身ごもりました。
それを機に弾き語りの仕事は辞め、
山梨に戻ったそうです。
自動車販売の仕事を2年間行い、
その後独立して、自分のお店をオープンしました。
お店はうまくいっていました。
しかし、44歳の時に転機が訪れ、
奥様が交通事故死。
そこから店の経営は傾き、
2年後、お店をたたんだそうです。
それからというもの、
いろいろな仕事を転々とされました。
その数なんと、20以上とのこと!
60歳になろうとする頃、母親の介護もスタートした上、
過去の年金記録がなくなっていて、
年金もあてにできないことも判明。
日中、母親についていないといけない為、
仕事を探さないといけなくなったそう。
そこで思いついたのが将棋サロンだったといいます。
そこから、将棋の駒を作ることになるまでに、
どんないきさつがあったのでしょうか?
遠藤正巳さんが将棋の駒を作り始めたきっかけは?
遠藤正巳さんは、近くの空き家を将棋サロンにすれば、
定年退職した人たちが集まるのではと思ったそうです。
そこで、ネットオークションを使い、
将棋盤や駒も買い集めたそうです。
そんなとき、
静岡県富士宮市を拠点とする将棋駒製作のグループ「富士駒の会」が
展示即売会と駒彫りの実演をやるということを聞き、
遠藤さんは行ってみることに。
どれが良い駒なのか、分からなかったそうです。
その時、遠藤さんに声をかけた方がいました。
それが、富士駒の会で、
メンバーを指導している駒師の大澤建夫さんだったそう。
「気に入った駒がなければ、教えるから、
自分で作ってみたらいい」と。
そこから遠藤さんの駒作りの修行が始まりました。
年金の足しになればと、
スタートされたそうです。
作業は、母親の介護が終わってから、
夜8時から深夜2時ころまでだったそうです。
集中力がいる作業で、
1組40個作るのに、2か月かかるというから、
すごいですね!
タイトル戦に使われた駒は?
遠藤正巳さんは、修行を続け、
3年後、大澤さんの紹介で、
東京・渋谷区千駄ヶ谷にある、
日本将棋連盟の売店に駒を置いてもらえるようになりました。
そして、修行を始めて7年、
2018年11月、将棋のタイトル戦である「竜王戦」。
第3局で遠藤さんの駒が使われました!
タイトル戦では、対局する棋士2人が、使う駒を、
いくつかの候補の中から、
話し合いで決めるそう。
羽生善治さん(当時、竜王)と広瀬章人さん(当時、八段)は、
不思議と2組とも、遠藤正巳さんの駒を選んでいたそうです。
羽生善治さんによると、
遠藤さんの駒が、
線がすっきりしていて見やすかったそう。
ちなみに、遠藤正巳さんは、
最高級の「盛り上げ駒」しか作らないそうで、
それを作るには、高度な技術が必要だそうです!
実は、
挑戦して挫折する人が多いそう。
遠藤さんは、
とても努力されたのもあると思いますし、
細かい作業がきっと得意だったのかと思われます!
まとめ
以上、
遠藤正巳さんプロフィールと家族
将棋の駒を作り始めたきっかけ
タイトル戦に使われた駒
についてでした。
遠藤正巳さんは、
奥様にも先立たれ、
年金記録が失われ、
波乱万丈な人生を送ってこられました。
普通なら、絶望してしまいそうですが、
最期に、
ご自分の天職を見つけたのかもしれませんね!
今、将棋界は、注目されています。
だからこそ、今後も
多くの素晴らしい駒を作り続けて欲しいと思います!